WED代表の山内があらゆる業界のものづくりのプロたちを招き、彼らの半生や考えを聞き、議論することで、ものづくりをアップデートしていく『CHAKAI』。第三回目のゲストは、4月にお互いの会社のパートナーシップ契約を発表し、プライベートでも山内と仲が良いアーティストのSKY-HIさん。前半ではSKY-HIさんのアーティストとしての道のりを聞き、後半ではものづくりを通して伝えたいことにについて議論しました。
host
山内 奏人
WED株式会社 代表取締役
guest
SKY-HI
アーティスト/株式会社BMSG代表取締役CEO
1986年千葉県生まれ。2005年にAAAのメンバーとしてデビューし、同時期からSKY-HIとしてソロでの活動をスタート。現在はラッパー、シンガーソングライター、トラックメイカー、音楽プロヂューサーとしてマルチに活躍。2020年にはマネジメント及び音楽レーベルを手がける株式会社BMSGを設立、ボーイズグループオーディション『THE FIRST』を主催して大きな話題に。

挫折をきっかけに好きなことを追求したら、それが音楽だった
山内:日高くんの音楽との出会いを聞かせてよ。
SKY-HI:能動的に音楽を聴き始めたのは、中学一年生だった気がするな。それまでずっとサッカーファーストでやってたんだけど、当時一番うまかったやつが日本代表に入れなかったって聞いて、山の頂が見えた気がして。間接的に挫折を味わったことで、好きなことをしてみようと視野を広げてみたら、それが音楽だった。
山内:芸能活動はいつから?
SKY-HI:ちょうど同じ頃かな。中学生ってアルバイトできないから、最初はスタジオに通うお金を稼ぐために始めたんだよね。高校に入ったらアルバイトができるようになるし、当時の活動は切りの良いところで辞めようと思ってた。
高校は音楽に強い学校に入ってバンドを組んでたんだけど、当時のバンドメンバーは皆進学志望でプロ志向ではなかったから、一人で音楽を続けてた。それで、10代のうちに自分の音楽を世に出したいなと思って、エイベックスに応募した。レコード屋の店長から自分のやりたい音楽をつきつめてここまで大きくなったMax Matsuuraの生き方が超ヒップホップで尊敬してたから、エイベックスでやれたらいいなって思ってたんだよね。
山内:日高くんはAAAができることを想定してとられたの?
SKY-HI:全然。男だったら誰でもっていうオーディションだったから、役者志望、シンガーソングライター、歌う人、踊る人、本当に色んな人が集められてたんだよね。当時はジャニーズ全盛だったから、エイベックスが男性を募集するっていうだけで結構なインパクトがあって、すごい数の応募が来てたらしい。自分はラップ、ダンス、歌、作曲、できること全てに丸をつけて履歴書出してたんだけど、歌ったり踊ったりしたいって人が多く応募してたみたいで、最終的に歌って踊れる人が集められてた。
山内:そうだったんだ。AAAは、すごい人気がでたよね。
SKY-HI:ライブを止めなかったのと、地方でのライブを多くやってたからじゃないかな。当時は今ほどライブ市場が大きくなかったし、リリースイベントをやらなくてもCDが売れる時代だったから、全国のホールを細かく回ったりショッピングモールでライブしまくったりするのは珍しかったんだよね。
そうやって、地方でのツアーやリリースイベントを集中的に2〜3年やってたら、アリーナツアーをやるようになったんだよね。アリーナツアーって今ほど簡単にできなかったから、世間の見方も変わっていくし、新聞とかに広告出すと売れてる感が出て、雪だるま式にファンが増えていったな。
山内:いつからSKY-HIを名乗るようになったの?
SKY-HI:SKY-HIとしての活動自体は18歳からやっていて、自分としてはやってることはその頃から何も変わってないんだけど、どんどん露出や認知が増えて行ったって感じかな。
山内:そっか。で、今はSKY-HIとしてアーティスト活動と会社経営がメインになってるんだよね。

『THE FIRST』は、自分を救うためのものでもあった
山内:日高くんは、これまで目指してきた人とか、憧れてる人っている?
SKY-HI:超好きだったり尊敬したりする人はめちゃくちゃいっぱいいるけど、自分自身が誰でもない人になりたいって気持ちがあった。何かや誰かになろうとすると、無意識に自分から離れていくことの繰り返しだったんだよね。
当時ラッパーはポップスのシーンで受け入れられる可能性が著しく低かったから、シンガーソングライター然としてみたり。または、AAAにアレルギーがある人も多かったから、差別化するために歌って踊ってる人に見えないようにしてみたり、いろんな試行錯誤をしてきた。何も考えないで自分らしくいることを大事にしようと思えるようになったのは、実はこの2〜3年のような気がする。
山内:『THE FIRST』を見てると、日高くんらしさって「弱さのリーダーシップ」だなと思う。それこそ今はJ.Y. Parkと比べられることがあると思うんだけど、J.Y. Parkは強い言葉を投げかけたり改善点をストレートに伝えたりして成長させることで、人を惹きつけていくよね。
でも日高くんは共感がベースだったり、審査中に「次会いましょう」って言っちゃったりすることで、周りの人を「助けていこう」っていう気持ちにさせて惹きつけるリーダーシップなのかなって思う。
SKY-HI:合宿タイミングまで行ったらもう運命共同体だから、ダメ出しにあたることや自分が思う限りの強い言葉でのディレクションはあったけどね。番組の盛り上がりの為に必要以上に強く当たったり、追い込んだりだけはしないようにしていたし、指摘一つにもリスペクトと感謝を込めて心を通わせたかったから、結果的に優しくなってしまったよね(笑)。
山内:弱さを前に出すことの強さって言うのかな。
SKY-HI:合宿に参加してくれたメンバーとは、横並びに近いポジションを意識しながらも、最終的な生殺与奪の権利を自分が握ってしまっていることは気にするようにしてた。どんなに距離が縮まって冗談を言い合う関係になっても、年齢やキャリア、さらに審査する立場ともなると根っこの部分で対等にはなり得ないので、とにかく話し方や接し方には気をつけた。アドバイス一つ取っても、こちらの何気ない一言でも彼らはずっと覚えてたり気にしたりするから、相手が意見や質問をしやすい空気を作らないと、お互いの為にならないから。
あと特に実感したのが、こちら側が張り詰めた空気で彼らを見るより、同じ方向を向いていると思ってもらえている時や、プレッシャーより楽しさが勝っている時の方が彼らのスキルが伸びるっていうこと。このオーディションに集まってくれた子って、才能や実力はあるけど発揮できる場所がマジでなくて、過去に挫折してきた子がほとんどだったから、そういうやり方が合ってたんじゃないかな。
山内:なんか日高くんの経験と似てるよね。自分を救うためにオーディション番組やってるのかなって観てて思ったもん。
SKY-HI:そうなんだよ。自分と同じような状況に陥りそうな子を、自分が負った必要のない傷を負わないように導くことで、自分の道のりが意味あるものだったと証明するプロセスだった。
自分は10代後半〜20代にかけてフルに傷つき続けてきたから麻痺してるだけで、人間として幾つかの部分が壊れてるし、もっと壊れてもおかしくなかったと思うから、そういう人をもう作りたくない。
山内:僕、『New Verse』の歌詞がすごい好きなんだ。日高くんらしさが出てるし、あの歌詞に当てはまる人はめちゃめちゃいるだろうなって。僕は特に想いが似てるからさ。
SKY-HI:そうだね。奏人くんとは、最初はただの桃鉄仲間だったけど、気づいたら仕事の相談もできる存在になってたよね。起業を決めてから2年くらい相談者を探してたんだけど、経営とエンターテインメントの感性を共有できる人がいなくて困ってたんだよね。奏人くんは、音楽が好きでエンターテインメントに本質的に興味があるけど、それを生業にしない人で経営ノウハウが立ってる人っていう理想の相談者だった。逆に、奏人くんにも同じようなことを求められているのを感じたな。
山内:僕らは想いが似てるけど持ち味が違うから、表裏一体だよね。
--後編へ続く--